
第1回信州上田歴史ロマンウォーキング
平成
14年11月16日に長野県上田市にて信州上田歴史ロマンウォーキングが開催されました。私は「上田原古戦場コース」に参加いたしました。さて、どんな1日だったでしょう。
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コースの説明 |
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さあ、スタートです。 スタートとゴールはここ、上田城二の丸の陸上競技場です。 朝8時、不安と期待の入り交じる中、出発式が行われました。 |
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六文銭太鼓による出陣太鼓の演奏のなか、いよいよ上田城公園をスタートです。 |
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上田城公園を西に歩き、小泉曲輪から歴史の道へ入りました。 |
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坂下地区の歴史の道です。 このような道があることを私は知りませんでした。すばらしい情緒のある町並みです。 |
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北向観音道の道しるべ 北国街道との境に建っています。しばらく北国街道を西に進みます。 |
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高橋を通過しました。 上田城の西の入り口、高橋を渡ります。下を流れる川は上田城の惣構えになる矢出沢川です。 |
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善光寺道の道しるべ 善光寺道すなわち北国街道は右に折れていきます。私たちは千曲川を目指して左に道をとりました。 |
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千曲川沿いを歩く。 風の冷たい中、この千曲川堤防を歩きます。少しずつ太陽が顔を出してきました。 |
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上田大橋を渡る。 新しくできた上田大橋を渡り、いよいよ上田原古戦場跡へと入り込みました。 |
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旧若宮八幡神社 もともとは水神様を祭ったと言われるこの地区の氏神様です。上田原合戦はこの神社から浦野川までの範囲で行われたそうです。 |
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板垣信方の墓に向かう。 若宮八幡社の西側に墓が建っています。 |
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板垣信方の墓 武田晴信(後の信玄)の守り役であり重臣。 |
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屋代源五の墓に向かう。 屋代源五の墓は板垣信方の墓よりさらに西よりにあります。 |
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屋代源五の墓 屋代源五は屋代の豪族であり、村上義清の有力な協力者であった。 |
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案内板 今回のイベントにあわせて、地元の自治会で整備してくださったとのことです。感謝です。 |
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小島権兵衛の墓 屋代源五の墓よりさらに西側の田圃の畦にある。 |
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浦野川の川縁より天白山を望む 村上義清はこの天白山のふもとに本陣を築いて、武田軍に対峙したとのことです。 |
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千曲公園から上田原古戦場を望む。 ふもとより約20分、山道を登り、岩鼻の上にある千曲公園に到着しました。景色は絶景ですが、この登りに足が…。 |
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千曲公園から倉升山を望む 武田晴信はこの倉升山の麓に本陣を置き、無敗の武田軍団を率いて中央突破をはかったわけです。目指すは… |
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更級の葛尾城を望む この岩鼻の隙間を抜ければ、村上義清の本拠、葛尾城は目の前です。ところが、武田側は重臣を多く失い、自ら負傷という大敗を喫っしました。 |
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千曲公園を下りていくと馬場が現れました。 馬の大きさにびっくり! |
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しばし、馬とのふれあいタイムとなりました。 |
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来た道をもどり、上田原古戦場公園に着きました。この地も激戦地の一部です。 |
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雨宮刑部の墓 古戦場公園の隅にあります。 |
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無名戦士の墓 観音寺に向かう道の傍らにはこのあたりに散在していた墓石を集めた無名戦士の墓があります。 |
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石久摩神社に到着しました。 |
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上田原古戦場の碑 散在していた戦士たちの墓地を壊して田畑にし、墓石を庭石としていたところ、良くないことが多発したため、この地に供養碑を建てて供養を始めたとのことです。 |
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紅葉をバックにはためく、ロマンウォークの旗。 風が冷たい…。 |
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宮川神社に到着 中之条地区を突っ切って、最後の訪問地、宮川神社に到着。 |
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宮川神社の綱 この地の豪族がこの神社に兵を集めたとき、人数がわかるように、この綱に100人ごとに1本、串を差し込んだという。今でも12本刺さっており、この地で1200の兵を集めたことがわかる。 |
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古舟橋を渡る 古くは東山道のころからここは千曲川を渡るポイントとなっており、江戸時代は渡り船あるいは舟橋があったそうです。 |
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上田城の尼が淵に到着 現地の説明を聞く。 |
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二の丸堀底を歩く ケヤキ並木道をゴール目指して歩く。さあ、まもなくゴールだ!! |
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上田城にゴール!! 午後3時到着予定が、2時過ぎに到着。でも一番最後の組らしい。 |
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