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白井城は利根川と吾妻側の合流点に築かれ、越後から関東平野に出る口を押さえる
要衝に位置している。山内上杉氏の臣、白井長尾氏の居城である。
その場所から、関東と越後、あるいは信濃からの勢力のぶつかり合い、たびたびの戦
いの舞台となっている。
上杉氏は、新興の北条氏に関東を追われ越後の長尾氏を頼ることになるが、このた
め上杉謙信の関東進出が始まり、この白井城は上杉氏の関東の拠点となった。
信濃をほぼ手中にした武田信玄は、越後の上杉謙信の関東進出を阻むべく碓氷峠を
越えて西上州へ侵攻して箕輪城へ進出、吾妻郡を真田幸隆に攻略させ、吾妻川沿いに 白井城へせまった。
上杉謙信の死後、北条氏は沼田へ進出し白井城も北条方となるが、武田勝頼の侵攻
により再び武田側へ移った。一時期は真田昌幸が白井城代を務めている。
武田氏が天目山に滅びると白井城は滝川一益に従うが、すぐに北条氏に降り、そのま
ま小田原の役までは北条氏の城になった。小田原の役時は北国連合軍を松井田城、西 牧城と共に白井城にて死守する事となったが、豊臣方の大軍に攻められて降伏した。
徳川家康の関東移封に伴い、白井城は本多氏のものとなったが、元和9年に廃城とさ
れた。 ![]()
城の基本形は悌郭式で、崖の高さ15Mの先端に本丸が築かれていて、崖に沿って二
の丸、三の丸、北郭、金比羅郭が並ぶ。本丸の南に三角形のささ郭がつく。
本丸、二の丸、三の丸の東南には狭い帯曲輪がつき、さらに本丸の東南には南郭、さ
らに新郭が付く。
本丸は130×95mの三角形で、周囲に3〜4mの土居がつく。南端には櫓台が設け
られている。本丸の入り口は内桝形構造で、周囲は野面積みの石垣で前面に土橋が付 く。門の東が横矢となり、そこの堀は水堀で三日月堀と呼ばれた。
二の丸は200m×80m、虎口には土橋が付く。
三の丸は280m×150m、北端には低い土居が見られる。
北郭は350m×90m、東よりに大手虎口が開き、高さ6mの櫓台によって守られてい
た。
金比羅郭は140m×70mで金比羅山の櫓台がある。
帯曲輪は幅4〜5m、石垣で被覆されている。
南郭は後に付加されたものであり80m×320m、土居の高さ2.5mである。
新郭は70m×280m、虎口は南端にある。
場所 :群馬県北群馬郡子持村白井
築城期間:永享年間(1429〜41)
築城者 :長尾景仲
城の形式:崖端城
遺構 :郭跡、空堀、土居、虎口跡、帯曲輪、腰曲輪、桝形、櫓台
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