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このページでは、箕郷町にある箕輪城について紹介します。
この箕輪城は、戦国時代に西上州に勢力を張った長野氏の居城として整備されました。中でも長野業政は、
西上州の有力者として、関東管領上杉氏の側に立っていました。武田・諏訪・村上の連合軍に信濃を追われた 海野頼綱はこの長野業政を頼り、また真田幸綱(幸隆)も一時期はこの箕輪城や安中城にいました。
永禄9年(1566)、甲斐の武田信玄は碓氷峠を越えて西上州を侵攻し、この箕輪城を囲みます。もちろんそ
の軍勢の中には武田軍の先方衆の一人として真田幸隆を加わっています。かつての恩人の城を攻める気持ち はいかばかりか・・・。長野業政の息子、氏業ほか一族郎党は御前曲輪にて自刃して果てました。
武田信玄はこの城に内藤昌豊を置き、西上野の拠点としました。しかし昌豊は長篠にて討ち死にしてしまい、
その子昌月が城主となると、これを白井城代の真田昌幸が補佐していたようです。
武田氏滅亡後は北条氏の傘下に入り、信濃の徳川や越後の上杉に対する北の守りとなっていましたが、豊
臣秀吉による小田原侵攻の際に前田・上杉・真田連合軍の前に降伏しました。
徳川家康の関東移封に伴い、箕輪城は井伊直政へ十二万石にて与えられ、井伊氏により改修されました
が、慶長三年に、井伊直政は高崎城を築城し移ったため、廃城となりました。 ![]()
場所 :群馬県群馬郡箕郷町西明屋
築城年代 :1505年頃
築城者 :長野業向
城の種類 :平山城
遺構 :曲輪、腰曲輪、堀、堀切、馬出し、丸馬出し、虎口、石垣など
指定 :町指定史跡
規模 :450m×1.2km、比高45m
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